“思い込みの話し”

もう随分昔の話しですがこんな体験をしました。ある女性の話です。彼女は何というのでしょうか、見えない物が見えたり、感じたりする人で沢山の人達が彼女の周りに集まっていました。彼女のやり方は“過去世”を解いて行って、今世でカルマをなくすような事をしていました。彼女の事をこれ以上詳しく書くのは控えさせれいただきます。

私はその人とある事をきっかけに知り合いました。私に何回も相談に心よくのってくれて初め私はその人の傲慢さに気づけませんでした。 いろいろな事が見えて分かって“凄い”って思ってました。カルマを簡単に無くせるならそうしたいってなどとも思っていました。今まで出会った事がないやり方だったのでこれが“真実”なら凄い?と思っていました。ある時初めて個人的ではなく彼女を囲んで行われた“勉強会”に出席しました。20人以上はいたでしょうか?輪になって行われました。会場に入ったとき“何か変!”って観じた事を覚えています。でもそれはすぐ無くなっていました。その勉強会ではその日の何人かの過去世を解いて行ってたと記憶しています。個人的にあっていた時はまるでなかった“傲慢”な部分を勉強会では見てしまいました。それ以外にも何回かこういう勉強会のようなものに出席しました。そして私は“これが私の求めていたもの?”と疑問に思うようになりました。ガンガン上から目線であなたはレベルが低い!っと怒ってました。いろいろな事がありました。

傲慢さを作っているのは“私は人ができない事ができる”という、勿論プライドですが、元は“思い込み”からきているのではないかと思います。“思い込み”もやっかいです。 自分が出来ると思い込んでいる事は本当の自分ではない場合があると思います。 その思いを“続けて”持ち続けている、だから自分の一部になってしまってそれがプライドとなってしまうように思います。

ああ、自分はこんな事が出来るようになった!っと素直に喜ぶのは悪いことでは決してありません。でも本気で学びを実践していないと“これも出来る!”“あれも出来る”“これは出来た”、、、、なんて事になります。そして自分で出来ていると“思い込んで”しまいます。何と言ったらいいのでしょう?淡々とやってたら“自分が出来た”事はすぐ過去のものになってしまうので“自分が出来た”事を忘れてしまいます。次から次へとやってくる学びに対して“自分が出来た”と思う場所にはもういないからです。うまく言葉で言えません。私は多くの人の中にこの“思い込み”を見ます。生きること、存在するという事は進行形ですから、終わりがありません。良い方向にも悪い方向にも変化し続けます。

私はこの人との出会いで思い込みがどれほど本来のものとは違っているかを学びました。もしこの人との出会いがなければもしかしたら私も“人とは違ってこんなに偉いんだ”と 思っていたかもしれません。人間、“自分が人とは違ってこんなに凄いんだよ”!って簡単に思い込み、そして偉い自分が上から目線で人に指図することが簡単に出来てしまうと思います。私はこの人によってそれをこれでもかと言うほどみせられました。私は本当に心から彼女に感謝しています。今の私は彼女なしではあり得なかったかもしれません。